愛媛県の内子町は、江戸時代に城下町松山と大洲を結ぶ街道沿いに栄えた商人の町。町の中心部から東のエリアには川沿いにのどかな田園風景、山あいには棚田などが見られる里山地域だ。

旧御禊小学校(愛媛県喜多郡内子町只海)

御祓(みそぎ)地区の由来はその昔、高尚な人物が川で穢れを落とした逸話から地名となったという。その後、村の合併で地名は五十崎町となり、この小学校は2014年に統合により閉校となった。今はコミュニティースペース「みそぎの里」の名で、地域の人が集い、観光客も立ち寄れるカフェとして活用されている。

緑の山々を背景に、目の前には田んぼが広がるのびやかな環境に、立派な白い校舎が残っている。近くには日本の棚田百選の「泉谷棚田」がある。

旧長田小学校(愛媛県喜多郡内子町五百木)

内子町の中でもかなり山間部に入った場所にある。2004年に閉校となり、宿泊体験施設の「お山の学校」として2013年にオープンした。周囲の環境に溶け込むようにリノベーションされた木造校舎だ。


旧川登小学校(愛媛県喜多郡内子町大瀬東)

内子町を流れる清流小田川のほとりにある。1971年に統合により閉校になり、宿泊施設「いかだや」としてリノベーションされた。農村体験や川遊び体験と地元の新鮮な鮎料理が味わえるという。この地は「いかだ流しの里」ともいわれ、資料館としても活用されている。建物の前に広がる校庭が昔の雰囲気を思い起こさせる。